事故であれ病気であれ被殺人であれ、自身の生命の存続を淘汰される要因はその本能に反している。
殺人は[いけない]のでは無く、[いけないと思わせている本能]である為にそれが言葉となって発せられる。それこそが本能としての脳の働きである。
[自殺]においては宗教学面からも見方が違う。
仏教では自殺を禁じて無く肯定もしていない。
イスラム教では後追い自殺からそれは禁止され、キリスト教では殺人よりも重い罪であり地獄へ行くとされる。
ただし条件によっては自己犠牲という概念も存在する。
自らの命を絶つことによって他人の命が救われる場合、その自殺では地獄へは送られず天国へと召される、とキリスト教では説いている。
自らの命を絶つことによって他人の命が救われる場合、その自殺では地獄へは送られず天国へと召される、とキリスト教では説いている。
殺人も自殺も善か悪かと問われればそれに答えは存在しない。
世には前に述べた自己犠牲や緊急避難の意義も認められているからである。
時間の流れも考慮すれば、その殺人者がこれから人を殺すであろう人格と殺した後の人格は同じである。
だからと言ってまだ殺人をしていない殺人者を悪人とは呼べない。
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